高橋 誠之助氏 インタビュー
神様の女房
■ インタビューを聞く (2011.9収録) ■パーソナリティ:山口佐貴子
【著 書】
神様の女房
(amazonへリンク)
【著 者】 高橋 誠之助 (著)
【出版社】 ダイヤモンド社
【価 格】 ¥1,365
【書籍の内容】
淡路島の船乗りの家の次女として生まれたむめのは、豪放磊落な父、万能と勤勉を地でいくしっかり者の母の血を受け、男まさりの芯の強さと相手に尽くす優しい心を兼ね備えた大和撫子へと育っていった。
そんなむめのが、船場近くの京町堀の商家での女中奉公を経て、お見合いをすることになったのは、一九歳のとき。お見合いといっても、お互いの顔を見ることなく結婚へと進むことがほとんどだった時代。いくつもの縁談がありながら、むめのは、わざわざ最悪の条件ともいえた相手を選ぶ。財産と名の付くものは皆無。電燈会社に勤める二〇歳のやせた青年。名前を、松下幸之助、といった――。
丁稚から身を起こし、後に松下電器産業(現パナソニック)を一代で築き上げた稀代の経営者には、数々のエピソードが残され、それらは今なお語り継がれている。
だが、そんな幸之助の奇跡の成功ヒストリーを、陰で支え続けた“もう一人の創業者”がいたことは、意外に知られていない。その人物こそ、幸之助の妻、むめのだった。
五里霧中の商品開発、営業の失敗、資金の不足、苦しんだ人材の採用と教育、関東大震災と昭和恐慌、最愛の息子の死、そして戦争と財閥解体…。幾度も襲った逆境を、陰となり日向となり支え、「夫の夢は私の夢」と幸之助の描いた壮大なスケールの夢を二人三脚で追いかけていったのが、むめのだった。
むめのがいたからこそ、“経営の神様”は、その足跡を残すことができた。それは、幸之助自身が認めている。第二、第三の松下幸之助をこの国から生み出すためにも、こんな女性が日本にいたことを知ってほしい。松下幸之助夫妻の“最後の執事”が綴る、松下むめのの物語。
(Amazonより)
【プロフィール】
高橋 誠之助(たかはし せいのすけ)
1940年京都府生まれ。1963年神戸大学経営学部卒業後、松下電器産業株式会社(現パナソニック)入社。主に広島営業所などで販売の第一線で活躍。入社7年目、29歳のとき突然に本社勤務の内示があり、以来、松下家の執事の職務に就き、20年以上にわたり松下家に関する一切の仕事を担う。幸之助とむめのの臨終にも立ち会い、執事としての役目をまっとうする。その後、幸之助の志を広めるために1995年に設立された財団法人松下社会科学振興財団の支配人となる